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上海交通事情(1) 上海事務所
次長 堅田 進一 整備された上海の道路
上海では50回目の国慶節を控えた昨年9月15日、上海市民念願の延安高架路が完成し、上海を示す「申」を表した高架道路は全長48kmとなって、高架道路建設事業は完了した。
いままで上海市内東側の外灘から西側の、例えば虹橋空港まで移動するのには、迂回して走るためずいぶん時間がかかり、また退出勤時などには、高架道路上はよく渋滞したものだ。高架道路でこれだから平面道路もかなり混雑した。そのため延安高架路、14.5kmが開通したことは、上海市内の交通事情を知るものにとって画期的な出来事だった。この延安高架路の完成後、市内の道路はずいぶん流れがスムーズになったばかりか、高架下などは舗装も一新されて、見た目も見違えるほどになった。
これに加えて上海では道路も片側2〜3車線が多く、郊外へ伸びる道路は片側4車線道路もあるほど、狭い日本と違って交通環境も整っている。う〜ん、わずかの期間で道路事情はこうも変化するものなのかとつくづく感心させられた。 まだ渋滞が・・・
ところが、この中心部はともかく高架部分や郊外で、スイスイと快適に移動している道路上に突然、渋滞が起こることがある。この渋滞は大抵対向車線にも及ぶことが多いが、現場に近づくに連れてその原因が明らかになってくる。
大きくは二つ。まずは事故である。
最初のうちは延々と続く渋滞の列の規模から想像して、恐る恐る窓越しに眺めてみていたが大抵の場合、なんのことはない(といっては当事者に失礼ではあるが)軽微な接触事故である。 時が経つとこれは中国での習慣であることが分かってくる。すなわち事故現場は、その検証が済むまで移動してはならないのであろう。しかしながら大型のバスが関連する事故では、当事者であるバスが片側を全てふさいでしまうこともしょっちゅうで、行き場を失った車は反対車線や歩道へと溢れ出てしまう。みるみるうちに現場では人も車も四方八方に移動しはじめ、怒号と喧騒のなかからやっとのことで現場を脱出できるという光景が繰り広げられる。 もう一つ、それは故障である。
車が突然、ブレーキを強くかける。乗っている人は前につんのめり、上体を手で支える。なにごとか?前方を見ると道路の真ん中や追い越し車線上で故障車(であろう。なんの表示も合図もないのだから不明ではある)が停止していることがある。バスだったりすると、乗客みんなで後押しをしているからご苦労なことだが、考えてみると危険極まりない。 またここでも渋滞が起きる。そりゃそうだろう、突然、車や人が道路の中央にいたりするのだから。夜間や郊外で、高速で飛ばしているときなどはこちらがゾッとする。ハザードランプも故障しているのか?三角の反射板はないのだろうか?
この渋滞を経験するうち、ちょっとした傾向が見えてきた。故障車は多くがバスとトラックであること、タクシー、自家用車の故障が少ないことである。確かに比率から言えばタクシーの4万台に比べ、バス、トラックは36万台とケタ違いでそれだけに確率も高くなるのは理解できるが、ひとたび故障すると他の交通に与える影響も大きいだけに、「なんとかしてくれよ」という気になってくる。
この中国にも車検制度があり、半年ごとに検査を受けなければならない。日本では営業車の車検は1年ごとだから中国の制度では厳しいが、この費用、バスで一年に最低でも約30,000元(40万円程度)かかるので、維持もなかなか大変なのだろう。なんとか維持費を軽減しようと交換するべき部品を交換しなかったりして、それ故に営業車は故障しやすいのか、まさかなぁ。 増えつづける車と事故、減らない故障 現在、大阪府の車両登録台数は約380万台。これら車両が単純に言えば約1,800㎢の狭い場所に広がっている。上海の登録数ではバス、タクシーなど約45万台(1998年調べ)、面積約6,400㎢。今後さらなる大量輸送システムや本格的なマイカー時代がそう遠くない時期にやって来るのだろう。そのときの渋滞の件数を想像すると果して都市機能として十分な威力を発揮できるのか、不安になってくる。でもまさかこのままの状況で推移するのではないだろうが・・・。 また今日も見ました、渋滞の原因
ある朝、前に止まっていたバスから、乗客は平然と他の混雑したバスにその場で乗り換えていたが(これも渋滞の原因)、彼らは今日の仕事に間に合うのだろうか。きっと遅刻だろうな。
でも多分彼らは上司にまたこう言うのだろう。「今日はバスが故障で遅れました」
ふーっ、しかたないか。 上海交通事情(2)
昨年華々しくデビューした上海浦東国際空港を離れると、郊外のたたずまいとともに片側4車線の真っ直ぐに伸びたアクセス道路がある。この、行き交う車もまばらな高規格道路をフリーウエーらしく快適に車で疾走する。日本でも馴染みのある情景だが、しばらく道なりに20分ほど走るとさすがに混雑した上海市内の様相を帯びてくる。 現在、上海でも公共交通機関は基本的にバスに頼らざるを得ないため、道路の占有率もバスが幅を利かせているが、人などが縦横無尽に横断し、バスが黒煙を吐きつつ重なり合って通過し、その隙間を縫うようにタクシーや乗用車がクラクションを鳴らして車線変更を頻繁に繰り返して先を急ぐ・・・。 はじめて上海の地に踏み入れた時、我々がまず驚かされるのは、高層のビルが林立する大都会国際都市上海の顔、そして大いに戸惑う、この、表現に苦労する交通事情であろう。
赤信号でも横断 しかしこの交通事情、上海人達はあまり違和感がなさそうだ。急ブレーキをかけられたバス、タクシーの乗客は少しも騒がず、驚かず、乗務員や自転車、オートバイ、歩行者はクラクションを知らぬ顔で自分達の行きたい方向へ突き進んでいく。もっとも警察もこの状態を放置するわけにはいかず、主だった交差点、レーンが離合する個所には警官を配置し、車両の整理指導(取締り)にあたってはいるが、その傍らでは何事か?といぶかしげな顔をして人々は赤信号にもかかわらず交差点を横断していく。 違反車両には即決で罰金(5元から20元程度)がその場で課せられるが、違反者の車両は道路上に無造作に放置され、通過する他の車両は仕方なくその車両を避けるため無理やり車線を変更するのでまたそこで混乱する。中には決定を不服として逆に食ってかかるドライバーもおり、(これはいままでの中国のイメージとは異なるのだが)さらにやじ馬が加わって時として混乱はどんどん大きくなる。訪れる外国人の目を丸くさせる交通事情の代表例である。
車も人も右側通行 規則上、中国は日本とは異なり、「車は右側通行、人も右側」である。さらに交差点内では、原則として「右折可」(日本でいう左折可)である。もうひとつ、交差点の信号システムに一時的に全て赤にして交差点内の車を排除する「全赤時間がない」という事情もある。まだある、一般的に「交差点はUターン可能」である等々・・・。 右側通行は見慣れてしまえばなんということはないが、右折可と全赤だけはうっかりすると危険な目に遭うから、我々外国人は要注意である。またUターンは後続の車、対向車の円滑な通行に支障を来たす。 上海市の公安局交通総隊の幹部に話をする機会があったので、この交通事情について交通指導の現状を聞いてみた。いわく、今上海では急激な車の増加に対応するため、機敏な移動を可能にするよりも、かさばる車を円滑に流動させることを最優先に考えている。すなわち信号を増やさず、各信号の時間を短縮して待ち時間を少なくし、左折レーンを設置するなどに加え、前述の交差点での警察官の交通整理を、昼夜を問わず実施するなどである。 人への指導はどうか?と尋ねると、これは「禁」と大きく書いた赤旗をもった警察官OBのボランティアが混雑している交差点で(フエをピーピー吹きながら)整理にあたっている。―とはいえ、我々から見ると、これら公安関係者の指導はあまり効果が上がっているように見えないのだが・・・。 大阪府の統計によると、今年の3月現在、府内の自動車登録台数は379万台、自転車はここに含まれてはいない。大阪府内では相変わらずの渋滞が至る所で整然として発生しているが、一方、統計上、大阪府の約4倍の面積をもつ上海は昨年末で60万台、自転車を合わせてほぼ同数の390万台で、道路が整備された今はあまり目立った渋滞はない。数字から見ると上海のこの交通状況、今はまだいいが、これからの課題は、WTO加盟を期に予想される自動車産業の発展と上海市民の所得向上に伴い増加する車両保有台数に対処できるシステムの確立と、マナー向上のための市民への啓発指導であろう。 方向別レーンやバスレーンの設置拡大や注意、案内標識の設置はぜひとも実施してもらいたいが、なによりもまず教育機関を含めた市民への交通ルール、マナー向上の啓発指導が急務である。ここ10年程で車が急増し、道路を我が物顔に走り出したが、昔から自分の足で自由に移動して来た人間の意識が簡単にが変わるわけがないのだから! 新任駐在員あいさつ〜アジアの21世紀に向けて−上海に暮らす〜
大阪国際商業振興協会(IBO上海事務所の中国名称)上海代表処所長を拝命し、2月15日に着任いたしました。IBO会員の皆様、IBOニュースご購読の皆様、よろしくお願いいたします。 赴任当日、事務所のある黄浦区(延安東路588号)まで浦東国際空港から約1時間、車窓から上海の変貌ぶりを目の当たりにしました。田園地帯、旧来の路地(弄)、そして、浦東地区(黄浦江沿い)や旧市街地にポストモダンなビルが林立しています。「申」(上海の別称)を形どった高速道路網、地下鉄などの鉄軌道網が急速に整備されていますがそれも間に合わない状態です。都心部のデパートには商品があふれ、レストランで歓談している人々を見るたびに、市民生活の豊かさを感じます。 統計を見ますと、1999年の上海の域内総生産額(速報)は4,035億元(約5兆2,500億円、1元=13円換算)で、前年比10.2%と全国一の経済成長率でした。相変わらず、沿海部の成長が突出しており、前年に引き続きトップとなった広東省(約8,500億元)をはじめ、江蘇、浙江、山東の上位4省で国内総生産の4分の1を占めています。上海は全国第7位の経済規模ですが、個人の可処分所得/年(全国平均7,700億元)でみれば、深圳の2万548元、広州の1万2,326元、上海の1万932元と全国第3位につけています。 折りしも、3月5日から15日まで、第9期全国人民代表大会(全人代)第3回会議が開催されましたが、沿海部と西南部地域の経済格差の解消を図るため、外資誘致による西南部開発を高らかに謳うものとなりました。沿海部都市における外資への管理強化と併せて、政策的には西南部開発へと重点が移るものと思われます。政策と経済実態のどちらが優位に立つかは今後の議論となるでしょう。また、沿海部都市内の所得格差も深刻な課題です。 上海は「中国のなかの外国」と言われます。「上海だけを見て中国を語れない、しかし、上海を抜きにして中国を語れない」と言われます。「社会主義市場経済」(1992年憲法)提唱から8年、上海人は「上海ドリーム」の実現に向けあくなき経済活動に取り組み、外資もWTO加盟に備えて設備輸入を増加(1月、前年同月比32%増)しております。 わが国の景気回復基調や中国のWTO加盟をにらみ、ビジネス情報の中心地であります上海への関心がますます高まっており、当事務所への相談事案も増加しております。上海事務所は、中国情報の収集・コンサルティングをはじめ、中国進出への足がかりの拠点として共同事務所を運営しております、どうか、気軽にご活用くださるようお願いします。 浦東開発10周年の現状と未来 上海事務所 所長 草薙勝之 1990年4月18日、中国政府が上海浦東地区の開発を宣言して以来10年を迎えた。本年4月18日に開催された浦東開発10周年を祝う式典をはじめ、10周年前後の期間に、施設・道路のオープンや会議開催などイベントが集中的な開催され、政府、報道、市民が一体となり、盛り上がりを見せた。IBOとしても、1992年に他団体に先駆けて浦東研究会を設置しており感慨深いものがある。 浦東開発とは、旧市街地(浦西)の黄浦江対岸部に残されていた未開発地(浦東)を開発・開放し、深圳などの経済特区を上回る外資誘導政策を採用しながら、上海を国際的な経済・金融・貿易のセンターとして築き上げ、長江(揚子江)沿岸都市の発展を促進するために推進されてきた国家プロジェクトである。新空港、橋・トンネル、道路網(総延長距離1,000km)、地下鉄、港湾、電気・ガス、上下水道、テレポートなどインフラ整備に2,853.75億元(1元=約13円)を投じており、今後もその整備を進める予定である。開発を先導するための重点開発ゾーンを整備しており、@陸家嘴金融貿易区(金融・貿易・商業)A外高橋保税区(総合的国際自由貿易区)B金橋輸出加工区(ハイテク・ニューテク関連製造業)C張江ハイテク・パーク(バイオ・医薬品、情報産業の生産・研究開発拠点)−の4つの地区がある。外資の投資は、1999年12月末で、69カ国から5,942件で、投資総額294.43億ドル、1,000万ドル以上の大型投資は約400件となった。 浦東新区(行政区)の面積は522ku(上海市全体の8.3%、以下同じ)、人口は153万人(8.3%)である。区内総生産額は1990年の60.21億元から800.5億元(1999年末)に増加し、年間成長率は21.3%(上海市10.2%、全国7.1%)、全市に占める割合は8.1%から19.8%となった。産業別にみると、第三次産業の占める割合が20.1%から44.1%へと急速に増加していることが特徴的で、中国の「龍の頭」として、多国籍企業のアジア太平洋地域における地域代表本部の集積を目指してはいるものの、現在25企業に過ぎず香港の700、フィリピンの250に及ばないのが悩みである。 本年秋ともいわれるWTO加盟や来年秋のAPEC国際会議のホスト都市として「国際的な経済基準の先導的採用」が求められるとともに、中央政府の財政支出が西南部開発へ重点化するなかで、現行の浦東地区の優遇政策にも変更が余儀なくされることが予想されている。今後、浦東は「イメージ戦略から実質的な都市魅力を築く」ことに努力することになるであろう。 馬 海林 馬海林と申します。7月大阪国際振興協会上海代表処に入ったばかりで、仕事のこと一から勉強中です。 日本語と付き合ってからもう14年になりました。私は90年上海外国語大学日本語学部を卒業して、通訳の仕事を3年間やりました。仕事の中、日本人とたくさん出会って、日本に関してもいろいろわかるようになりました。その後、いいチャンスに恵まれて、名古屋大学へ留学に行きました。日本文化などの研修をして、日本への興味が増え、日本語だけでなく日本社会、日本人についてもっと勉強しようと思うようになりました。 この考えを持って、95年4月名古屋大学大学院人間情報学研究科社会情報学専攻に進学しました。各分野の先生が揃ったこの新しい大学院で、人間と情報という二つのキーワードを軸に、経済学、社会学、歴史学、哲学などを勉強しました。 終了後、愛知県豊田市にある特殊工具メーカ富士精工鰍ノ入社して2年間半ぐらい働きました。海外事業部に配属され、中国にある合弁会社との貿易そして海外子会社の財務管理の仕事を担当しました。勉強と仕事を通じて、日本と現代社会の理解が深まりました。 大学院の専攻を生かすことのできる情報関連の仕事をしたいので、IBO上海事務所に入りました。事務所は小さいですが、いろいろな情報が毎日集まってきます。情報の海の中から、役に立つものを探し出して整理整頓するのは、大変なことですが、楽しいところもいっぱいあります。また、情報を待つことばかりではなく、自ら経済開発区へ足を運んで生の情報を収集することも大事だと考えています。上海及びその周辺の経済情報を中心に、情報の収集分析を進め、中国へ進出を計画している企業へ助言できるアドバイザーを目指して頑張ります。 よろしくお願い致します。 上海事務所 次長 堅田 進一
一時帰国で大阪に戻ってみると今年は上海より暑い、と感じた。すでに朝夕は爽やかな涼風が吹いている上海ではこれから一年で一番いい時期を迎える。 中国の朝は早い。7時には出勤する人々に混じって家の前で机を出して朝食を取っている人もいる。路上で椅子に腰掛け、居眠りをする老人は昨晩、よく眠れなかったのだろうか。パジャマ姿でトランプやマージャンをしているグループは、夜勤明けか非番か?戦況を覗きたくなる。テントを張り、歩道に簡単なテーブルと椅子を備えて油条(揚げパンの一種)や饅頭を用意して出勤途上に食べる人々に振舞っている店は朝から忙しそうだ。
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