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大阪と上海・中国との相互発展に向けて
上海事務所 所長 草薙勝之
 
 2000年11月21日、大阪府・上海市友好都市提携20周年記念が、大阪国際会議場で開催された。上海市側からは、人民政府や人民代表大会の団に加え、区政府、総工会、青少年、女性、文化などの各界・各層の計16団体・約190名の参加者を得て、21世紀に向かい、大阪と上海との経済・文化交流の発展を謳いあげた。この190名という大規模な団の友好都市への派遣は上海市としては初めてのことで、市の意気込みがいかに大きいかを物語っている。20周年の記念事業の成功は上海においても高く評価されており、今後、日中間の交流事業の拡大に弾みがつくものと思われる。こうした実践的な交流事業の展開と市民、なかでも、未来の交流を担う青少年一人ひとりの心の通った相互交流・相互理解が、日中間のビジネス交流を行う上でも不可欠であり、この点は、上海市人民政府代表団劉倫賢団長(上海市人民代表大会常務委員会副主任)も強調したところである。
 「中日友好は富士山のように雲高く聳え立ち、揚子江の流れのように末永く流れるよう、心から祈念いたします。(1998年12月31日 張雪娜)」。
 張雪娜さんは、現在、上海市人民対外友好協会常務理事で、大阪府と上海市との友好交流事業に長く従事されている方であるが、この言葉は、魯迅公園近くの中国工商銀行山陰路分理処(内山書店旧址)2階の記念室に掲示されている色紙に書かれたものである。
 日中間の相互交流を発展させるためには、お互いを尊重し、批判しあえる人々がどれほど存在するかによるが、このとき、中国の偉大な文学者・思想家である魯迅と内山完造の友情を忘れることはできない。魯迅と内山完造の友情は、日中間の歴史の上で、一抹の明かりのようなものである。内山完造は、私人の立場で日中友好に貢献され、現在も、上海の万国公墓に眠っておられるが、二人の厚い友情は、言葉だけの「老朋友」以上のものがある。魯迅は、内山完造著の「生ける中国の姿」(1935年)に序文を提供し、日本語で、「日本人ほど結論を好む民族、結論を得なかったらどうしても気がすまない民族は少ない。色々と読者によって違う。自分の考えでは日本と中国との人々の間はきっと相互にはっきりと了解する日が来るであろう」と述べている。「中国人はああだ、こうだ」と議論しがちな私達にとって、耳の痛い話であるが、60年以上経った今でも、日本人の気質は未だに変わっていないと感じるし、相互了解も21世紀を待たなければいけない。
 大阪国際商業振興協会上海代表処(IBO 上海事務所の現地名称)が設置されたのは1985 年11 月で、本年で15 周年目を迎えたが、当事務所も、この意味で、実際的なビジネス交流に加え、日中友好・相互理解の架け橋として、重大な役割を担ってきたと自負するとともに、日頃自戒して行動しているところである。翻ると、大阪府が海外に目を向けたのはいち早く、1890年(明治23年)11月に大阪府立商品陳列所を設置し、外国人バイヤーへの商品展示を行ったのをはじめ、火災で消滅した同陳列所を1917年(大正6年)3月に、大阪市中央区内本町に再建(現在マイドームおおさかのある場所)するや、5月には上海に貿易通信員を配置し、上海からの生の情報を府下企業に提供している。ちなみに、この年、参天製薬社員から転じた内山完造が内
山書店を開業している。1936年(昭和11年)4月には、大阪府立貿易館上海分館が設置され、1939年(昭和14年)3月まで存続した。なお、日本商人の上海進出は、1868年(明治元年)、熊本県の田代屋商店(陶器・小間物)であり、大阪からの進出第1号は、1887年(明治20年)の吉田号(雑貨商)である。
 街が形成(1267年)されて約740年、対外開放(1843年)されて約160年のこの若い上海が、一時期の停滞の後、1992年の小平氏の南巡講話を嚆矢とし、昔年のような発展を遂げ、西洋と東洋が混沌とする国際都市として、また、世界の人々を魅了する街として、再び異彩を放とうとしている。「午後漸く上海港に至る、ここは中国第一繁盛の津口なり、欧羅波諸邦商船、軍艦数千艘碇泊、檣花林して津口をうめんとす、陸上はすなわち諸邦商館の紛壁千尺、ほとんど城郭の如し、その広大厳然なること筆紙を以って盡すべからざるなり。」これは、1862年、幕船千歳丸に乗って上海に到着した高杉晋作が記した(『遊清五録』)言葉であるが、日々変化する街の姿に、現在の訪問者も異口同音に同じような発言をする。
 しかし、より重要なことは、外観の姿ではなく、日本人への真の理解をもった人々との交流であり、その裾野をいかに広げるかである。上海交通大学21世紀発展研究室常務副院長の童澄教氏もその一人である。童氏は、動力行程、内燃機関が専門の学者であるが、40歳から勉強をしたという日本語は極めて堪能である。同大学の国際交流学院で海外との交流や外国の留学生に対する支援に従事されていたが、1996年12月、21世紀発展研究院が創設されるやいなや、実務上の責任者として研究室に異動され、国連地球サミットで提唱された、「持続的発展」(環境保護とバランスのとれた経済成長)プロジェクトを推進している。上海社会科学院歴史研究所副研究員の陳祖恩氏は、上海での日本人社会を研究する研究員である。温厚な性格の方であるが、困難な出版環境のなかにあって、戦前の日本人社会を撮影した写真集「日本僑民在上海(1870-1945)」を公表されるなど、市民の視線から見た日本と中国の交流の姿を紹介されている。華東師範大学教授、上海日本学会副会長の陳永明氏は、自身が筑波大学の留学生でもあったことから、日本留学経験者による「我的日本観(私の日本観)」に関するシンポジウムや出版物を刊行する一方、教育という観点から日本と中国との相互理解の促進に尽力されている。これら、紙面では紹介できないほど多数の知日派の人々が日中の真の友好交流に努力されている。また、本年11月に開催された「上海市大学生日本語弁論大会」(上海教育国際交流協会と京都外国語大学の共催)は、年々規模が拡大し、第14回目を迎えた。こうした、日本をこよなく理解しようとし、日中間の掛け橋となろうと希望している青年が育っていることも心強いことである。
 本年は21世紀の幕開けの年でありますが、当事務所としても、これらの人々とのネットワークを継承・強化し、IBO会員の皆様にご紹介いたしますので、皆様からのご支援をよろしくお願いしたいと思います。
(上海事務所 所長 草薙勝之)
 

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