昨年の1999年夏。間近に迫った建国50周年祝賀の準備のため、上海の街中が慌しく活気付いていた頃、一人の男性がIBO上海事務所を訪れてきた。その人は開口一番「共同事務所に入居させて欲しい」…。
IBOの共同事務所は、大阪府下
の企業の方々に海外への進出を支援することを目的としている短期駐在スペースで、その後の現地法人化や業務提携の締結といった海外進出を達成するまでを側面から援助する。
この人物の突然の申し出は事務所にとって、その役割を果たすための絶好の機会なのだが、その時、事務所の6室ある共同事務所は満室。「残念ですが、しばらくお待ちいただけませんか」と言うと、この人はすかさず「ではいつ空くのですか?」「待っている間の準備は?」「空きそうなところは?」などと矢継ぎ早に問われたため、こちらがうろたえる始末であった。一体何者だろう、どういう会社なのだろうか?
この人は結局、数ヵ月後の1999年12月に、実にタイミングよく入居を果たした途端、たった一人で上海市内、郊外を東奔西走して営業活動を繰り広げ、その甲斐あって明けて2000年3月に現地法人化の目処がたち、退去していく。IBO上海の入居企業としては例のない早さで、この間わずか4
カ月−。
この来所から遡ること、8年。1992年にこの人は資本金4,500万円で「ねじと精密部品」を製造販売する会社を創業する。山上和男氏、1952年生まれ。この年、ちょうど40歳。
当時日本はバブル期の絶頂で人々は生活の豊かさを満喫していた頃である。
山上氏の起こした『宏和産業株式会社』は、家電製品や自動車などのねじ全般を扱う、地味ながらも同氏の秘めたる情熱を基礎としつつ、バブル期に乗り、順調な滑り出しをもってスタートした。
同氏はその間も技術の研鑚に取り組み、高精度の塑性加工や切削加工の新技術を開発する。
これを機に宏和産業は、AV機器、コンピューター、カメラといったいわば高精密機器の部品製造にも着手することになった。
もともと同氏はいわゆる技術屋ではなく、またこの世界に長く籍を置く専門家でもなかった。20歳過ぎに大阪市内の、あるねじ商社に営業マンとして入社した、いわば全くの素人である。
しかしながら同氏は「“営業"は扱う商品をすみからすみまで知り尽くすことが基本」と、日常の業務の傍ら繁々と製造現場に通い、商品の製造過程を見て回るうち、知識と技術を習得し、その後様々な新技術開発を思い浮かべ、関わってみたいと思うようになったという。
「あの頃は若かったこともあって無我夢中で働きました…」同氏は当時を回顧する。そして1992
年。「機は熟した」と、努力で培った経験を元に宏和産業を設立するのである。
「金、力、道(前例)のない者が会社を起こすのは傍目には想像し難い不安があった」が、モットーを「市場需要に合致した、他には真似のできない技術開発」と掲げ、リードスクリュー、ヘッダー・転造加工品などの開発を実現させ市場に投入。この成果が認められ、同社にはたちまち注文が殺到した。
同社の業績が順調に伸長するなか、突如、空前の円高が日本に到来する。1USドルが80円までに値を上げる前例のない円高。山上氏の起業3年目のことである。これを機に家電、自動車などの関係業界は製品組立工場を一斉に海外に移転させ、国内生産拠点を海外へシフトさせることになるが、このあおりをまともに受けた同社は売上が一気に半減する。「あの時は相当慌てましたよ。部品を納める工場がどんどんなくなっていく。これからどうしようかと…」同氏は当時を振り返り、見上げた。
この難局に対し、同氏も海外事業展開を決意する。様々な企業がタイに進出、移転する状況にあって、同氏の最初の候補地選択はやはりバンコクであった。次いでこれも日系企業の進出が相次いだフィリピン・マニラにも販売・サービス拠点を開設し、再び同氏自らの足で日系企業を1件1件売り込みに回る。いままで忘れたことのない20年間に身体に染み着いた営業の基本を海外の地でまた実行する。
また、自社のアピールのため、3つのスローガンを前面に出し、社を他に印象付けた。
・将来性のあるマーケットを照準にした技術開発
・高付加価値商品を有する企業への前進
・アジアでの国際ビジネス展開
を目標に掲げ、国内外に精力的に活動していった。
1998年、生産工場を山梨県に建設、いままでの委託生産を自社生産に切り替え、会社は生産販売ともに自らで行う完全独立を果たした。精密マイクロパーツ、極小精密歯車の製造過程の開発などこの世界では画期的な技術開発を実現させ、これを元に商品を生産して、同社の基盤はゆるぎないものとなった。今では大手メーカーからの注文に追われる毎日を送っている。
このような状況のもとで同氏は第三の拠点を求めて上海に上陸、その足で真っ先にIBO
の事務所を訪れてきた、というのが実態のようである。これで謎が解け、喉のつかえが取れた。
同氏に『今後、海外での事業展開は?』と尋ねてみた。すると同氏は即座に、「これからのアジアの発展は、中国、フィリピンが先導する。この二大市場に高付加価値商品が集中すると予想する。上海はその最たる地域。しかし中国に関する限り今後は上海だけでなく、香港を取り巻く対岸、広東省東莞市に注目し、ここに生産工場を築くつもり。中国国内向け販売にも取り組む。いずれはシンガポールを拠点に新たな生産工場を例えばインドネシア・ジャカルタあたりに築きたい。これらの計画を実行して我が社はさらに飛躍、拡大する!」と目を輝かせて語った。
これまでの話を聞くうち、どんどん質問したくなった。
−事業拡大を図る上での重要なポイントは?
「我々が作り出す商品は、日頃の生産過程の中で常に試行錯誤を繰り返しながらの技術開発を経て誕生したものです。しかしその性格上、この種の商品はひとたび世に出れば早晩、付加価値は低下する。その中で我々が生き延びるためには、飽くなき追求、限りない挑戦−この姿勢が欠かせません。」同氏の言葉に熱がこもる。
−上海をはじめ、海外進出を果たされた感想は?
「海外には人との出会いがある。我々中小企業にとって国内で大手メーカーのトップクラスに面会することは至難の業。面識のない者がいきなり会社、工場を訪れても成果は上がりません。それが海外では企業を個別に回ると責任者と直に交渉することができ、我々の商品の良し悪しのみで判断してくれる。またそれが縁で他のメーカーにも輪が広がり、ひいては国内でも知名度が上がるようになった。これは海外進出を検討する上で私の頭には思いも因らなかった効果でした。出会いを大切にする、海外進出で学んだことの一つです。」と同氏は力説した。
−最後にIBO を利用して、またこれからIBO に望むものは何ですか?
「我々中小企業にとって、IBOの海外での情報や人脈は非常に重要です。そりゃあ、大企業なら一言、調査機関に依頼すれば済むことでしょうが、我々はそうはいきません。財力に限りがある。海外進出を目指す中小企業にとってIBO
は漆黒の海に浮かぶ船を誘導する灯台です。またIBO はそうあって欲しい。あるべきです。だから今後も是非、我々中小企業に力を貸して欲しい!」
山上氏との会話を通して、改めて周到な準備と起業のタイミング、時宜を得た決断、揺ぎ無い信念と先見の明などの必要性を痛感すると共に、我々IBO
への期待とその責任の重さを感じずにはいられなかった。
同氏が席を立ち、事務所を後にする背中を見送って同氏の言葉が脳裏を再び過った。「我々が生き延びるためには、飽くなき追求、限りない挑戦−この姿勢が欠かせません…。」山上氏と宏和産業のさらなる発展を期待しつつ…。
(上海事務所 次長 堅田 進一) |